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下の表は、小学校学習指導要領に定められている標準授業時数です。日本全国どこの地域でも子どもたちに同等の学力がつくように国(文部科学省)が定めています。1年間にこれだけの授業が行われているのですね。
1年 | 2年 | 3年 | 4年 | 5年 | 6年 | |
国 語 | 306 | 315 | 245 | 245 | 175 | 175 |
社 会 | - | - | 70 | 90 | 100 | 105 |
算 数 | 136 | 175 | 175 | 175 | 175 | 175 |
理 科 | - | - | 90 | 105 | 105 | 105 |
生 活 | 102 | 105 | - | - | - | - |
音 楽 | 68 | 70 | 60 | 60 | 50 | 50 |
図画工作 | 68 | 70 | 60 | 60 | 50 | 50 |
家 庭 | - | - | - | - | 60 | 55 |
体 育 | 102 | 105 | 105 | 105 | 90 | 90 |
道 徳 | 34 | 35 | 35 | 35 | 35 | 35 |
特別活動 | 34 | 35 | 35 | 35 | 35 | 35 |
総合的な学習の時間 | - | - | 70 | 70 | 70 | 70 |
外国語活動 | - | - | 35 | 35 | - | - |
外国語 | - | - | - | - | 70 | 70 |
合 計 | 850 | 910 | 980 | 1015 | 1015 | 1015 |
これを見ると、国語の授業時数が圧倒的に多いのがわかります。
「学校に行かなくても日本語は話せるし、分からない単語がでてきたら調べればいいんだし、国語の授業ってなぜあるのかなあ」と思ったことのある人も少なくないでしょう。
それなのに、なぜ国語の授業はこんなにも多いのでしょうか。
「草」という単語しか知らなければ、目の前に青々と生えている植物は「草」でしかありません。しかし、「エノコログサ」という単語を知ると、「あ、エノコログサだ!」(ネコジャラシのことです)と他の「草」からくっきりと区別がついて見えるようになります。
「悲しい」と「もの悲しい」は別の感情なのですが、「悲しい」しか知らなければ区別はつかないでしょう。
また、「雲がゆっくり流れていく」「雲がゆったり流れていく」は、同じような情景ですが、「ゆっくり」は動きの速度が遅いこと、「ゆったり」は空間にゆとりがあることです。「ゆっくり」「ゆったり」を知ることで、自分は何を感じ取ったのか、感じ分けることができます。
つまり、ことばを知ることは、物や事柄が細かく区別できるようになる、感じ分けられるようになることだと言えます。
人間は、非常に不快な感情をもったとき、その感情を言い表すことばを持っていないと、泣きわめいたり暴れたりするしかありません。
しかし、自分の気持ちを「ことば」にしてとらえることで、気持ちに整理がつきます。さらに言えば、自分の気持ちを自覚するには、ことばにするしか方法がないのです。
暴れながらでも「ぼくは××が嫌だったんだよ~!」とことばにすることで、「そうか、自分は××が嫌だったんだ」と自覚でき、「それならどうすればいいかな」と前に進むことができるのです。
児童生徒の問題行動の背景として、ことばの力が不足しているケースが少なくありません。ことばにして物事や感情をとらえる練習をすることで、行動が見違えるように落ちついたという例は本当に多いものです。
まずは、「うれしい」「たのしい」「かなしい」などの大まかな言い方から。やがては、「飛び上がりたいような気持ちになった」「我慢してもしても涙がじわじわ湧いてくる」など、そのときの心の様子にできるだけぴったりな表現が選べることを目ざしたいものです。
「2と3をたす」と「2に3をたす」は別のことです。
○2個のリンゴと3個のリンゴをもらいました。リンゴはあわせていくつでしょう?
→2“と”3をたす(合わせる)
○すずめが2羽いました。そこに3羽きました。全部で何羽になりましたか?
→2“に”3をたす(加える)
数式で書けばどちらも「2+3」ですが、状況はまったく異なります。これはことばでなければ説明できません。
知っていることばを組み合わせて、物事と物事とにつながりをつけていくこと(論理を組み立てていくこと)。これが「考える(思考)」ということです。
日本語の論理を組み立てるには、助詞(「が」「の」「に」「を」「より」「から」など)が大きな役割を果たします。名詞や動詞よりも地味なので、うっかり見逃しやすいのですが、これが適切に使えているかどうか点検すると、頭の中で筋道が整理されているかどうかが分かります。
人間は、ことばによってしか「考える」ことができません。
日本人は日本語で、フランス人はフランス語で考えます。だから、それぞれの言語の特色によって、ものの見方や考え方に違いが出てくるのです。私たちは、日本語で生活し考えていますから、日本語の良さを生かしたものの見方や考え方を身につけたいものです。
ことばがコミュニケーションの重要なツールであることは言うまでもないでしょう。ただし、心に浮かんだことをそのまま口に出したのでは(文字で書いても)、トラブルが起こりやすいことも事実です。自分の伝えたいことが相手にうまく伝わるためには工夫が必要です。
大切なのは、「これを聞いたら相手がどんな気持ちになるか」と考える、この1点です。「相手意識」「他者意識」です。
この点から、自分の中に思い浮かんだことばを推敲します。そのまま言うと相手を傷つけてしまうかもしれないというときに、他のことばと置き換えられるだけのストックが必要です。相手がうれしくなるようなことばしか思いつかない人ならいいのですが、人間なかなかそうも行きません。相手の気持ちに配慮して自分の言葉を練り直す作業なくして、人間関係を作っていくのは難しいでしょう。
「人間は社会的動物である」とはアリストテレスのことばだと言われていますが、私たちは一人で生きていくことはできません。誰かのお世話になり、気づかないうちに自分も誰かの役に立っている。私たちが社会生活をしている以上、必ずそういう関わりの中で生きていくことになります。
そのときに、人からあたたかく受け入れてもらえるようでなければ、寂しく居心地の悪い人生を送ることになるでしょう。幸せな人生を送るためには、ことばによって人間関係が作れるようになっておくことがとても大切なことです。
とはいえ、言い回しそのものに正しい表現の形というものは存在しません。(儀礼的なあいさつなどは別として)
自分の真実から出たことば、相手へのあたたかい気持ちから出てくることばが、人間関係をつくるよいことばです。
ここまでお話ししてきたように、ことばの力は、「物事を区別する」「考える」「人とつながる」という学習生活や社会生活の“土台”です。理科でも算数でも何でも、ことばを駆使して理解し、考えています。
「文化の中核は言語である」と言われます。その国や民族のものの見方や考え方は、使う言語によって決まります。どの国でも、その国の言語(国語)は、文化の中核として大切にされています。ことばを十分に使いこなせることが、学力も人間関係も向上させ。よりよい社会をつくる土台になるからです。
国語の授業時数が最も多いのはそのためなのです。
2 ことばを身につけるために
ことばの力を学習の土台としてとらえれば、外に出ることばも大切ですが、理解したり考えたりすることば(内なることば)を鍛えることがさらに大切だということになります。(何をどう考えたのかは、書いたり言ったりさせてみなければわかりませんが)
人間は一人では成長できません。
他者との関わりの中で新しい価値を吸収し、最終的には自問自答することで成長します。そのためにはことばが必要です。
自分にはない価値観に出会って「なるほど」と刺激を受けたり、自分と同じ考え方に出会って自分の考えが強化されたりするような体験の中で成長していきます。それは生身の人間でなくても、本の中の偉人でも、説明文の筆者でもかまいません。
人間関係づくりの話は後段に譲りますが、自問自答できる内なることばを持ちたいのです。
国語の学習は、「今日これを教わったから、これができるようになった」というものではありません。どちらかと言えば、スポーツの練習に似ています。シュート練習を1本多くやったからといってすぐ結果には出ません。逆に1本サボったからといってすぐ下手になるということもありません。
しかし、それを積み重ねていったとき、3ヶ月後には明らかな差が出ることでしょう。
辞書を丸暗記しても、覚えた単語が使えるようにはなりません。
それは、ことばというものが体験とともにしか身体の中に入ってこないからです。誰でも、その体験をしたときの感情や気持ち、印象を伴ってそのことばの意味を理解しています。
例えば、「山」という一見シンプルに思える語も、聞いたときに思い浮かべる情景は人によってみな違うはずです。
「おばあちゃんの家の縁側から見た遠くのなだらかな山」「遭難しそうになって汗だくになって草をかき分けた山」「寒さの中でご来光を見て敬虔な気持ちになった山」など、それぞれの体験の中で「山」ということばの意味を理解しているからです。
こうして実感を伴ったものとして身体の中に蓄積されたことばでなければ、いざというとき使えない(出てこない)のです。
だから、厳密に言えば、思い浮かべる情景や情感まで含めたことばの意味は、人それぞれで異なっていると言えます。
とはいえ、人によって意味が異なるのでは、ことばは通じないことになってしまいます。それで実際には、私たちは、個人的にはそれぞれの意味や情感をもちながらも、「平地から盛り上がった陸地の部分」といったような辞書的な意味を共通の土台としてことばを使っているのです。
つまり、使えることばを増やすためには、辞書的な意味を理解すると同時に、ある場面の中で生きて働くことばに出会い、その場面ならではの情感をともなった意味を体験していく以外にないのです。
ですから、手間はかかっても、ある場面のことばに立ち止まって、どういう意味かを確かめるような支援・活動を大切にしたいと思います。
遊び、読書、授業、日常生活・・・、あらゆる場面がまなびの場面であるととらえ、注意深くことばに向き合わせる。そういう言語体験が子どもたちのことばを豊かにしていく、と私たちは考えているのです。
※「人間関係づくりの力」のページにもさらに具体的な方法を掲載しています。ぜひお読みください。
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